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日本工業新聞社賞
非金属分子触媒(ホスファゼン触媒)−その機能と可能性−

三井化学株式会社 マテリアルサイエンス研究所

非金属分子触媒開発チーム
 

1.はじめに

 一般に化学反応では、目的とする主反応の進行とともに目的物以外の化合物を生成させる副反応が存在する。近年、副反応により生成する不純物が生態系・環境に及ぼす問題が大きくクローズアップされている。このような見地から、主反応のみの進行を高めて、効率よく望みの化合物を合成することができる高効率的な触媒開発が触媒研究者に求められている。

 このような課題を解決する重要手段の一つに名古屋大学の野依教授により提唱・実現された分子触媒(1)が挙げられる。これは分子触媒が、「分子性を活用した自在な構造・機能設計と合成によって、触媒に特定の機能を賦活できる」という原理的な特徴を持つためである。

 我々は、この分子触媒の原理を援用してホスファゼン触媒(図1)を開発した。そして、このホスファゼン触媒がポリウレタン樹脂の原料となる高純度・高分子量ポリオールや超低吸湿性半導体封止材を製造するための触媒として極めて有効に作用することを見出した。(2)本稿では、分子触媒であるホスファゼン触媒に賦活した機能を紹介し、さらに、他の化合物合成への応用の可能性について述べる。


2.ホスファゼン触媒の機能

2.1.従来技術


 我々は、触媒を開発するにあたり、アニオンが活性種として作用する触媒反応をターゲットとした。アニオンが関与する反応のアニオン種としては、炭素アニオン、水素アニオン、酸素アニオン、窒素アニオン、硫黄アニオンそしてハロゲンアニオン等様々なものが用いられ、これらの対カチオンには、通常アルカリ金属やアルカリ土類金属カチオンが用いられる。これらのアニオン種は古くから用いられ、現在でも産業的に有用な化合物の製造に用いられている。 しかし、これらのアニオン種とカチオン種とから形成されるイオン対は、通常強固にイオン結合を形成し、会合しているために、アニオン種の活性低下をもたらしたり、副反応の進行を助長することが多い。そのため、このようなイオン結合や会合を和らげることによりアニオン種の活性を高めることを目的として、非プロトン性極性溶媒が開発されてきた。しかし、これらの溶媒は比較的高価であり、また、目的にかなうだけの効果が得られない場合もあるため、実際に工業的に用いられる例は少ない。

 このような背景のもと、今から40年ほど前に、4級アンモニウム塩やホスホニウム塩または、アルカリ金属カチオンを環状エーテル内に閉じこめたクラウンエーテルをアニオン種の対カチオンとする技術が開発された。これらの技術は、カチオン種のサイズを巨大にすることでカチオン種とアニオン種との間に働くクーロン力を弱め、イオン結合や会合をできる限り断ち切ることを目的とした技術であると言うことができる。その結果、非極性溶媒中においてもアニオン種の活性を飛躍的に向上させることを可能とした。(3)

 しかし、これらの技術を用いてもアニオン種の活性が不十分な場合もある。そして、4級アンモニウム塩やホスホニウム塩には、触媒自身の安定性が低く高い反応温度を必要とするような系では分解し、失活するといった問題がある。また、クラウンエーテル類の場合には金属−酸素の配位能を利用するために、クラウンエーテルよりも金属と配位親和能力の強い化合物が生成物である場合(ポリオール、ポリアミン等)には、十分にクラウンエーテルを用いた効果が得られないことがある。また、金属元素を使用するため、とくに電子情報材料分野において、最終製品への金属成分の混入が問題となり、実質的に使用できない場合があるという問題もある。さらに、これらの触媒は、いずれも1960年代ごろから研究されているため技術的にもほぼ成熟しつつあり、単なる改良ではこれらの問題点をすべて解決するのは難しい。

 このような見地から我々は、新たに開発を試みる触媒には、従来触媒では達成できない反応性や選択性、そして、従来触媒が抱える問題点を解決しうる機能を賦活しなければならないと考えた。

2.2ホスファゼン触媒

 4級アンモニウム塩やホスホニウム塩そしてクラウンエーテルを用いた場合に、アニオン種の活性が向上することは上述したとおりである。従って、カチオンサイズを巨大にしイオン結合や会合といった分子間相互作用を断ち切ることにより、アニオン種の活性を向上させるという方向性は正しいものと考えられる。我々は、これらの技術の思想を受け継ぎ、さらに高活性にするにはどのような仕組みを取り入れるのがよいかを考えた。

 図2は一般的なアニオンが関与する反応の遷移状態近傍の様子を模式的に表したものである。通常、遷移状態近傍においては、反応の進行に伴うアニオン電荷の移動に対して、対カチオン自身が移動しなければならないために反応が遅くなると考えられる。そこで、我々は、まず反応の進行に伴うアニオン電荷の移動に対して、対カチオンの正電荷を非局在化させ、対カチオンの移動を不要とする仕組みを取り入れることで、反応速度の向上を図ることを考えた(図3)。具体的には、触媒内で、カチオン電荷が自由に動き回れるよう、触媒分子構造の中に共役した結合を多く取り入れ電荷を非局在化させることとした。

 次いで我々は従来触媒の問題点を解決するための考察を行った。

 4級アンモニウム塩やホスホニウム塩には、その化学構造上、対アニオンが中心の窒素あるいはりん原子の近くまで入り込むことができる比較的大きな空隙が存在する。また、クラウンエーテルの場合には、金属カチオンがクラウンエーテルに取り込まれるというカチオン種の形成の機構上、必然的に対アニオンが金属カチオンに近づくことができるサイトが存在する。このように、4級アンモニウム塩やホスホニウム塩あるいはクラウンエーテルといった従来触媒では、いずれも対アニオンがカチオン種に近づくことができるため、アニオン種とカチオン種との分子間相互作用を完全に断ち切ることができず活性が不十分になっている。加えて、4級アンモニウム塩やホスホニウム塩ではこの対アニオンが、塩基として働きホフマン型の脱離反応を引き起こしたり、あるいは求核剤として中心の窒素あるいはりん原子を攻撃して、これらの塩を分解する原因になっている。

 そこで我々は、従来触媒よりも活性を高め、さらにカチオン種に安定性をもたらすためには、カチオン種の表面を疎水的な基(アルキル基)で稠密に覆うことが必要であると考えた。このような構造をカチオン種に持たせることによって、アニオン種との相互作用を従来触媒に比べて高度に抑制することができ、カチオン種の安定性も大きく向上させることができる。

 また、クラウンエーテル類がもつ、配位子交換の問題については、カチオン種を配位子で修飾するのではなく共有結合で形成された分子とすることで、そして金属混入の問題については、触媒を構成する元素に金属を用いないことで、本質的にこの問題の解決を図ることとした。

 最終的に我々は、従来触媒では達成できない反応性や選択性、そして、従来触媒が抱える問題点を解決しうる機能を賦活するための要件として@カチオン種の内部で電荷が非局在化できること、Aカチオン種が巨大で、その表面が疎水的な基で稠密に覆われていること、Bカチオン種が金属元素を含まずその構成原子が共有結合した化合物であること、を導いた。そして、これらの要件を満たす触媒として、図1のホスファゼン触媒にたどり着いた。ホスファゼン触媒は、全体として1価のカチオンであるが、その電荷は21個の原子上に非局在化することができる。また、ホスファゼン触媒は直径約12Åのほぼ球状の分子であり、カリウムイオンの直径2.7Åの約4.5倍に相当する巨大なカチオンである。また、ホスファゼン触媒は表面が24個のメチル基で覆われており、図4の分子モデルに示すように、表面は極めて空隙がなく稠密になっている。さらに、ホスファゼン触媒はりん、炭素、水素、窒素を主要元素とし、金属元素を含まない構造になっている。

  このように分子触媒の原理を活用することによって、アニオン種の活性を極限近くまで引き出し得る、安定性が高い、金属元素を含まない、という種々の機能を備えたホスファゼン触媒を開発することに成功した。これにより、一般的な化学反応はもとより、より幅広い分野における材料創出のための化学反応への適用が可能となった。


3.他の化合物合成への応用の可能性


 上述のように、我々はホスファゼン触媒に賦活した機能を生かし、高純度・高分子量ポリオールや超低吸湿性半導体封止材の創製に成功している。本節では、ホスファゼン触媒に賦活した機能により、とくに、高い反応性を実現した反応例を紹介し、ホスファゼン触媒を利用した他の化合物合成への応用の可能性について述べたい。

3.1.核置換反応

 アルキルアリールエーテルは各種工業薬品・医農薬品若しくはその中間体の部分構造を形成する極めて重要なビルディングブロックであるが、この骨格を構築するための有効な反応は少ない。アルキルアリールエーテルを製造するための方法としては、大きく、(@)フェノール性水酸基のアルキル化(A)ハロゲン化アリールの求核置換反応がある。しかし、前者の方法では、ジアルキル硫酸のような非常に危険な反応剤を用いなければならないという問題がある。他方、後者の方法では、塩化アリール(通常最も安価かつ容易に入手できるが反応性に乏しい)を、反応性の高いフッ化アリールに変換した後に、求核置換反応を行う必要があるという問題を抱える。このような見地から、塩化アリールに直接アルコキシル基を導入することが可能な技術開発が強く望まれている。

 とくに塩化アリールのうち最も単純なクロルベンゼンは、通常の温度で、水蒸気、アルカリ、塩酸、希硫酸とも反応しない化合物として知られ(4)、広く溶媒にも用いられる安定な化合物である。従ってクロルベンゼンの直接的アルキルアリールエーテル化は精力的に研究が行われ、これまでにいくつかの論文が報告されているが(5)、何れの場合にも十分な反応活性を持っているとは言い難い。

 そこで我々は、ホスファゼン化合物の対アニオンをメトキシアニオンとしたテトラキス[トリス(ジメチルアミノ)ホスホラニリデンアミノ]ホスホニウムメトキシド(図1.X=OMe)を合成し、この反応への適用を試みることとした。クロルベンゼンと合成したメトキシドとをモル比33:1で反応させたところ、室温2時間という極めて温和な条件下でアニソールがそのメトキシドに対して60%の収率で生成していることが分かった。(合成したメトキシドの代わりにナトリウムメトキシドを用いて反応温度を100℃まで上昇させてもアニソールは全く生成しなかったことから、ホスファゼン化合物の対アニオンが非常に高い活性を持つことが判る。)

 この反応は、極めて温和な条件で芳香環状の塩素原子を直接アルコキシ基に変換する技術を提供する有用性の高い反応であると言える一方、化学量論的反応であるため実用性に乏しいとも言える。そこで、我々はメトキシ基源としてナトリウムメトキシド、触媒としてテトラキス[トリス(ジメチルアミノ)ホスホラニリデンアミノ]ホスホニウムクロリド(図1.X=Cl)を用いる触媒反応を試みた。クロルベンゼン、ナトリウムメトキシド、ホスファゼン触媒のモル比を140:16:1として、100℃で5時間反応させたところ、ナトリウムメトキシドに対して99.4%の収率でアニソールが生成していることが分かった。さらに、この条件では、テトラフェニルホスホニウムクロリドや、18−クラウン−6といった相間移動触媒では反応が全く進行しないことも明らとなり、ホスファゼン触媒がこれらの触媒に比べ極めて効率よく作用することが明らかになった(表1)。(6)

 このように、ホスファゼン触媒に賦活した機能を利用することにより、従来極めて困難とされた塩化アリールの核置換反応を温和な条件下で実現することに成功した。このような特異な反応性の実現には、ホスファゼン触媒に賦活した機能が大きく寄与していると思われる。

 本技術を用いることにより、メトキシ基に限らず他のアルコキシ置換基をも芳香環上に置換することも可能になると考えられ、各種有用中間体の新規製造法になりうると考えられる。さらに、近年、環境ホルモンとして大きく問題視されているダイオキシン類を室温で無毒化する技術開発への足がかりになるとも考えられ、夢は大きく広がる。

3.2.環状シロキサン類の低温高速重合

 有機ケイ素高分子化合物(シリコーン)は、優れた化学的・物理的そして機械的性質を有するポリマーとして知られ、我々の身近な生活必需品から、広く産業一般にまで用いられている。シリコーンは、環状モノマーのアニオンもしくはカチオン機構による開環重合により製造されるが、重合触媒には、通常水酸化カリウム等のアルカリ金属触媒が用いられており、重合時には150℃程度の温度で数十時間を要する。(7)我々は、このようにアニオン種を触媒とした比較的過酷な反応条件を必要とする反応に、極めて活性化されたアニオン種を持つホスファゼン触媒を用いれば、より温和な条件で反応を進行させることができると考えた。

 液体の環状シロキサンであるオクタメチルシクロテトラシロキサンに、室温で、ホスファゼン触媒テトラキス[トリス(ジメチルアミノ)ホスホラニリデンアミノ]ホスホニウムヒドロキシド(図1.X=OH)を1mol%挿入したところ、間もなく液の粘性が増大し、わずか15分後には白濁のガム状に変化した。GPC(ゲルパーミッションクロマトグラフィー)により、このガム状物質の分子量を測定したところ、重量平均分子量で24万という巨大な高分子量体が生成していることが分かった。

 このとき、触媒表面から重合が進行したために、計算分子量(約3万)よりも非常に大きなポリマーが生成したものと考えられるが、溶液状態での均一重合ではほぼねらい通りの分量をもったポリマーが得られ、重合制御も可能であることも明らかになった。

 この反応に見られるように、ホスファゼン触媒により活性化されたアニオン種を用いることにより、既存のアニオン種を触媒として用いる製造プロセスにおける生産性の向上ならびにエネルギーの削減といった大きな波及効果が期待できる。


4.おわりに

 従来触媒では達成できない反応性や選択性、そして、従来触媒が抱える問題点を解決しうる触媒を開発することを目的として、「分子性」を活用した自在な構造・機能設計と合成によって触媒に特定の機能を賦活するという、分子触媒の基本原理を活用することによってホスファゼン触媒を創出することができた。

 我々が新触媒に期待し賦活した機能を、ホスファゼン触媒は数種類の化学反応において存分に発揮してくれた。ホスファゼン触媒を用いて検討した化学反応は、膨大なアニオン機構で進行する化学反応のほんの一部にすぎない。従って、強力なアニオン活性化作用をもつホスファゼン触媒を用いることにより、現在アルカリ金属等を対カチオンとして用いている反応の効率を飛躍的に向上させることが可能である。従って、新規製造ルートの開発や新規反応の開拓も大いに期待でき、今回紹介したような革新的な反応に出会える可能性を十分に秘めている。

 また、触媒開発の視点から、今回我々はホスファゼン触媒の創出にあたって、分子触媒技術の原理を駆使して触媒に特定の機能を賦活できることを実際に経験した。今後も、この経験を新規触媒創出の礎としていきたい。

引用文献
@Noyori, R., Science, 248, 1194(1990)
A(a) Nobori, T., et al., EP-0791600 (1997), (b) Nobori, T., et al., EP-0950649 (1999), (c) 林貴臣, 山崎聡, 浦上達宣, 昇忠仁, 触媒, 43, (7), 532(2001)
B(a) W. P. Weber, G. W. Gokel,"相間移動触媒", 1-22(1978)化学同人. (b)小田良平, 庄野利之, 田伏岩夫共編, "化学増刊74クラウンエーテルの化学", 66-84(1978)化学同人
C浅原照三ほか編, "溶剤ハンドブック", 292-294(1976)講談社.
D(a)J. E. Shaw, et al., J. Org. Chem., 41, (4), 732(1976). (b)H. L. Aslten. et al., Tetrahedron, 45, (17), 5565(1989). (c)M. A. Keegstra. et al., ibid., 48, (17), 3363(1992). (d)D. Nobel, J. Chem. Soc. Chem. Commun., 419(1993)
ENobori, T., et al., WO 01/81274 (2001)
F(a)伊藤邦雄編, "シリコーンハンドブック", 96-98(1990)日刊工業新聞社. (b)"シリコーン材料ハンドブック", 9-24(1995)東レ・ダウコーニング・シリコーン株式会社


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