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■文部科学大臣賞
「体外での組織再生のための新規培養皿の設計
  〜患者本人の細胞を用いた21世紀型医療をめざして〜」

早稲田大学大学院理工学研究科応用化学専攻博士課程3年
荏原充宏氏  

1. はじめに

「我々が事故や病気にあって組織や臓器など体の一部を失った場合、まるで切断されたトカゲのしっぽが再びはえてくるように、再生させることが可能か?」。この疑問に答える最先端の技術の開発が、私の取り組んでいる研究テーマである。

 そもそも、我々人間の体は、皮膚や髪の毛、肝臓、血管などを除いた組織では、その大部分を欠損した場合に再構築させることは難しい。実際に、事故で体の一部を失った場合や病気でその臓器が持っている機能を失った場合は、代替臓器(人工臓器)を用いるか、臓器移植をするのが20世紀の医療の現状であった。しかし、人工臓器は体内に長期に渡って埋込むのが困難であると同時に、患者の生活様式に大きな支障をきたす。また、臓器移植においてもドナー臓器との免疫不適合のために生涯に渡る免疫抑制剤の使用や、ドナー不足などの深刻な問題がある。そこで現在、患者本人の細胞を培養して、組織・臓器を再生させる次世代技術として「組織工学」が注目を集めている(図1)。これは医学・薬学に加え、材料工学、細胞生物学、細胞工学、遺伝子工学などといった様々な学問の集学的領域であり、特に組織を再生させるためには生体分子や細胞機能を制御可能な最先端材料の開発が急務である。

  本研究では、生体組織があたかも細胞でできたシートを積層したような構造であることに注目し、細胞シートの積層化によって組織構造を再構築する「細胞シート工学」に取り組んだ(図2)。事実、組織学的あるいは発生生物学的にみても、生体組織は複数種の細胞シートが積層した構造であることが知られている。しかし、細胞シートを積層化するといっても、現在の技術では、実際に細胞をシート状組織として得ること自体困難である。なぜなら、一般に培養皿上で培養し増殖させた細胞を回収する場合、タンパク質分解酵素などで処理され培養皿表面から剥離される。しかしこの酵素はその名の通り、細胞膜タンパク質や細胞の足場となる細胞外マトリックス、さらには細胞膜に存在するレセプターなども分解するため、細胞を一枚のシート状に回収できないどころか細胞が本来有している機能を低下させるという問題がある(図3)。また現在、細胞培養する際に使用される種々の動物由来成分(血清タンパク質など)の安全性が危惧されている。特に、実際に患者本人の細胞を用いた臨床応用をする場合には、動物由来成分が有する感染性や抗原性が大きな問題となる。こうした背景のもと、私は、
@ 動物由来成分を用いない完全無血清条件下での培養、
A タンパク質分解酵素を用いない非侵襲的な細胞シートの回収、
の2点を共に実現する新規培養皿の開発の必要性を痛感し、その設計に取り組んだ。

2. 次世代型インテリジェント培養皿

 
タンパク質分解酵素を用いない細胞の回収法を実現するために注目したのが、温度応答性高分子として知られているポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)(PolyIPAAm)である(図4)。この高分子は水中で相転移温度(32℃)を有し、それ以上で高分子鎖が脱水和しイソプロピル基間の疎水性相互作用により凝集して沈殿する。一方、32℃以下では水和し溶解する。このPolyIPAAmを培養皿表面に化学的に固定することによって、温度変化によって修飾表面の水に対するぬれ性を制御することが可能となる。この表面物性変化が表面への細胞接着性に強く影響する。すなわち、この培養表面が比較的疎水性となる37℃(相転移温度以上)では細胞は良好に接着・増殖するが、培養温度を相転移温度以下にするだけで、表面の親水化にともなって細胞が自発的に脱着してくる。つまりこの温度応答性培養皿を用いることによって、タンパク質分解酵素を用いることなく、細胞に傷害を与えずに、細胞間結合を維持したままシート状に回収できることを見いだした。

 培養を行う際に培地に加える動物由来成分の代表が血清であるが、血清成分中には細胞の接着に必要な「細胞外マトリックス(ECM)」を構成するタンパク質と、細胞の増殖・分化に必要な「細胞成長因子」などが存在する。つまり、血清を用いずに細胞培養を行うためには、これらを代替する成分が必要となる。近年、遺伝子工学の発展により、分子量が数万以下の細胞成長因子を人工的に産生することが可能となったが、ECMタンパク質はほとんどが高分子量であり、また糖鎖の付加などの翻訳後修飾が行われるため、現在の技術では人工的に作ることはほぼ不可能である。ところが大変興味深いことに、多くのECMタンパク質において共通するアミノ酸配列(アルギニン-グリシン-アスパラギン酸;RGD)が発見され、それらが細胞接着に密接に関わっていることが知られている。そこで私は、人工的に合成されたRGDペプチドを用いれば、無血清条件下においても細胞接着を促進させることができるのではないかと考えた。

 以上のことを基盤とした材料設計により、私は「RGD固定化温度応答性培養皿」の開発に取り組むと同時に、その次世代型医療を実現する培養皿としての可能性を追求した(図5)。その培養皿の作製法について簡単に説明する。

3. 新規温度応答性高分子の設計と培養皿の作製法

 温度応答性高分子のPolyIPAAmに、細胞接着因子のRGDペプチドを固定化するためには、ペプチドの末端のアミノ基と反応するカルボキシル基を高分子側鎖に導入することが必要である。PolyIPAAmは側鎖にカルボキシル基をもたないために、カルボキシル基を有するモノマーとの共重合により導入する手法がとられる。しかし、アクリル酸(AAc)を代表とするカルボキシル基を有するモノマーをIPAAmと共重合させると、PolyIPAAmの温度応答性が著しく損なわれてしまうことが知られている。そこで、私はAAcに替わる新しいモノマーを設計する必要性を強く感じ、その合成に取り組んだ。そもそもPolyIPAAmが温度上昇に極めて敏感に応答して脱水和・凝集するのは、側鎖のイソプロピル基が連続的に脱水和を起こし凝集することが一つの要因として考えられる。このことはタンパク質の変性に見られるペプチド鎖の伸展・収縮現象からも推察できる。こうした知見から、PolyIPAAmの温度応答性を維持したまま、カルボキシル基を有するモノマーを共重合させるためには、側鎖のイソプロピル基の構造を維持することが重要であると考え、新しいモノマー、2-カルボキシイソプロピルアクリルアミド(CIPAAm)を設計・合成した(図6(A))。

 合成したモノマーをPolyIPAAmに共重合した結果、温度変化に応答した相転移挙動において非常に興味深い現象が観察された(図6(B))。AAcを用いたPoly(IPAAm-co-AAc)では、生理条件下において、カルボキシル基の導入量に従って相転移温度が高温側にシフトし、5mol%以上でその温度応答性を失った。しかし、Poly(IPAAm-co-CIPAAm)においては、当初の仮説どおり、その相転移挙動がカルボキシル基の導入によって阻害されることはなかった。一方、CIPAAmとまったく同じ元素組成を有し、イソプロピル基をノルマルプロピル基に替えたモノマー、3-カルボキシ-n-プロピルアクリルアミド(CNPAAm)においても、PolyIPAAmの相転移温度を維持することができなかったことから、側鎖に存在するイソプロピル基の連続構造の重要性が示唆された。このような簡便な共重合法によって機能化温度応答性高分子を得られたことは、その応用性を飛躍的に広げる意味で極めて重要な知見であると考えられる。

 次に、新たに合成されたPoly(IPAAm-co-CIPAAm)を培養皿に共有結合によって固定化するために、電子線照射法を用いた。この方法は、IPAAmおよびCIPAAmモノマーを培養皿上に展開し、ただちに電子線を照射することによって、高分子化と表面への固定化を同時に行うものである。この方法を用いると、培養皿表面上に均一にわずか数10ナノメートルの高分子層を固定化することが可能である。細胞接着因子のRGDの固定化については、得られたPoly(IPAAm-co-CIPAAm)培養皿上に縮合剤の存在下でRGDとCIPAAmを反応させ、CIPAAmのカルボキシル基にRGDのアミノ基末端を結合させた。

4. 無血清条件下での細胞培養

 作製したRGD固定化Poly(IPAAm-co-CIPAAm)培養皿上にヒト臍帯静脈由来の血管内皮細胞(HUVEC)を播種し、その接着・伸展挙動を観察した。CIPAAmがモノマー全体に対して1mol%導入されたPoly(IPAAm-co-CIPAAm)固定化表面において、RGDを固定化する前後で、明らかに細胞の接着・伸展数に違いが見られた(図7(A))。また、HUVECは市販の培養皿上では、ウシ胎児血清(FBS)を添加しないとほとんどの細胞が接着・伸展を示さなかったのに対し、今回作製したRGD固定化Poly(IPAAm-co-CIPAAm)培養皿を用いると、細胞の接着・伸展が劇的に促進された(図7(B))。また、RGDのアスパラギン酸(D)をグルタミン酸(E)に替えたペプチド(RGE)を用いて同様の実験を行った結果、RGD固定化Poly(IPAAm-co-CIPAAm)培養皿上でみられたような細胞接着・伸展の促進はまったく観察されなかった。このことは、血清中の細胞接着性タンパク質がなくても、培養皿表面に固定化されたRGDが細胞膜タンパク質であるインテグリンと良好に結合していることを示している。

 その他の細胞種である肝実質細胞や角膜上皮細胞においても、固定化するペプチドを任意に選択することによって、無血清条件下での培養が可能となった。ラット肝実質細胞では、代表的な細胞接着性タンパク質であるラミニンに存在するアミノ酸配列(YIGSR)をPoly(IPAAm-co-CIPAAm)培養皿に固定化することによって、無血清条件下で細胞の接着・伸展を促進することができた。また、ウシ大動脈血管内皮細胞では、既知の遺伝子組み換え細胞成長因子を培養液に添加することで、RGD固定化Poly(IPAAm-co-CIPAAm)培養皿表面に接着した細胞をコンフルエントになるまで増殖させることができ、細胞シートを得ることができた。このように本研究で作製した培養皿は、任意のペプチドを固定化可能であり、無血清条件下での細胞接着・伸展を促進できるという点で、非常に汎用性が高い先端材料であると言える。

5. 温度変化のみによる細胞の剥離・回収

 タンパク質分解酵素などを用いずに細胞を培養皿から回収することが本研究のもう一つの目標である。そこで、RGD固定化Poly(IPAAm-co-CIPAAm)培養皿上で無血清条件下において培養した細胞の、温度変化のみによる脱着を試みた。細胞播種後、37℃で24時間インキュベートした培養皿を、Poly(IPAAm-co-CIPAAm)の相転移温度以下である20℃に設定した培養装置に移した。その後の細胞の様子を顕微鏡下で経時的に観察したところ、細胞が培養皿から自発的に脱着した(図8)。細胞の脱着は、培養皿表面に固定したRGDの量が少ないほど早く、逆に多いほど遅くなった。つまり細胞と培養皿表面との相互作用は、細胞膜タンパク質のインテグリンと培養皿に固定したRGDとの結合に依存しており、温度を下げることによって、これら結合力が弱まったと考えられる。このように、細胞膜タンパク質や細胞外マトリックスを分解して細胞を剥離するのではなく、その相互作用を弱めることによって細胞を剥離する方法は、極めて非侵襲的な方法といえる。

  それではなぜ温度を低下させることによって、RGDとインテグリンとの結合力が弱まるのか?その答えが温度応答性高分子のユニークな性質にある。温度応答性高分子は相転移温度以上で脱水和・収縮し、この状態では細胞接着因子のRGDは表面に露出する。そのため、細胞はインテグリンを介してRGDを認識し、培養皿に接着・伸展できる。これが無血清条件下でも接着・伸展できた理由である。一方、相転移温度以下では、高分子鎖は水和・伸長し、このときRGDは高分子層の中に埋もれるため、細胞が認識しにくくなる。つまり、RGDとインテグリンとが有している結合定数が極端に低下し、その結果、細胞が脱着すると考えられる(図5)。

 このような細胞の接着・脱着にみられるリガンド-レセプター間の特異的相互作用は、我々の体内でも多様な機能の発現を担っている。抗原-抗体や酵素-基質間の反応がその代表である。今回、私が設計・合成した高分子は、このような特異的相互作用を任意に制御し、その機能発現を"on-off"制御することも可能にする新しい材料と考えられる。

6. 結論

  21世紀の中核を担う医療技術の一つが、患者本人の細胞から臓器を構築する「組織工学」であり、それを実現する材料設計が私のテーマであった。特に、生体外で培養した細胞の臨床応用に大きく立ちはだかる課題、@動物由来成分を完全に除去した細胞培養(細胞の安全性)、A培養した細胞の非侵襲的な回収(細胞の機能性)を実現することである。このような観点から私が設計した「RGD固定化温度応答性培養皿」は、無血清条件下での細胞培養と、温度変化のみによる非侵襲的な細胞の回収を実現した。本研究は、高分子を構成するモノマーの設計と評価、それを用いた培養皿の設計と細胞培養まで、幅広く研究を進めることができた点で学際領域においてのみ遂行可能なテーマであり、実際に、このような研究スタイル自体が21世紀の科学技術を支えるものと考えている。

謝辞

 本研究は東京女子医科大学先端生命医科学研究所の岡野光夫教授との共同研究によって行われました。本研究を遂行するにあたり、ご指導、ご鞭撻を賜りました東京女子医科大学先端生命医科学研究所の大和雅之助教授、菊池明彦助教授、鹿児島大学大学院理工学研究科ナノ構造先端材料工学専攻の青柳隆夫教授に心より感謝申し上げます。


<参考文献>
[1] M. Ebara, T. Aoyagi, K. Sakai, T. Okano, Macromolecules 33, 8312-8316 (2000).
[2] T. Aoyagi, M. Ebara, K. Sakai, Y. Sakurai, T. Okano, J. Biomater. Sci. Polymer Edn 11, 101-110 (2000).
[3] M. Ebara, T. Aoyagi, K. Sakai, T. Okano, J. Polym. Sci. PartA: Polym. Chem. 39, 335-342 (2001).
[4] M. Yamato, M. Utsumi, A. Kushida, C. Konno, A. Kikuchi, T. Okano, Tissue Engineering 7, 473-480 (2001).
[5] T. Shimizu, M. Yamato, Y. Isoi, T. Akutsu, T. Setomaru, K. Abe, A. Kikuchi, M. Umezu, T. Okano, Circ. Res. 90, e40-e48 (2002).
[6] M. Ebara, M. Yamato, M. Hirose, T. Aoyagi, A. Kikuchi, K. Sakai, T. Okano, Biomacromolecules 4, 344-349 (2003).


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